オクノ修さんのライヴを観た
円盤で、オクノ修さんのライヴを観た。
弾き語りがこんなにも十分で(て言うとちょっと変な気もするけど)、オンリーワンな演奏の仕方なのだということを知った。
弾き語りは、バンドからベースとドラムを引いた状態のことではない。
出発点が違うのだ。そのことを、分かってはいるつもりだったけど、分かってなかった。
最初から1人でそこに立って、言葉と声と楽器と、時にはお喋りや沈黙や見た目でもって、ひたすら“うた”へと向かっていく事なのだと思った。
あと、オクノさんはもちろんとても素敵なのだが、だんだんオクノさんの歌唱よりも、オクノさんのギターよりも、オクノさんが“うた”が持ち上がってくるような感覚がおもしろかった。
それも、1曲これがいい、とかじゃなくて、オクノさんが演奏する曲の連なりの中で、だんだん“うた”というものが持ち上がってくるような感じ。
よく分からないけれど、とても不思議で素晴らしい体験だった。
しかし、オクノさん、モテそうやなぁ。
その後、CDほしいなぁと思って探していると、田口さんが、井手君はこれも好きかも、といって1975年に発売された2枚目をおすすめしてくれた。
家に帰って聴いてみるとこれがむちゃくちゃ格好良くて痺れた!!
今とはまた違う音楽だった。アシッドフォークだと思った。
ここで、山本精一さんのことを思い出した。
オクノさんも山本さんも、自分が歌う歌に対して、一定の距離感を保つようにして歌っている。そのことによって、“うた”が浮かび上がってくるのだと思う。
「“うた”様」だ。
“うた”が一番偉い。
僕たちはイタコだ。
↑1stの曲。
↓なんとなくこれも貼っておこう。